好きなもの

好きなものを綴っていこうと思います。

水の音、スポーツ

水の音が嫌いな人っているんでしょうか。

おぼれたことがある人などは、もしかしたら苦手かもしれませんが、水の惑星・地球生まれの人間にとっては、心地よい音なのではないかと。

母親のお腹にいた時の、羊水の記憶なんてことも聞きますね。

 

海辺で波の音を聞きながら読書して、ウトウトと眠るのが、私にとって最高のしあわせな時間です。

 

雨音も落ち着きます。

出かける予定のない日は家でゆっくり、雨の音を聞きながら温かい飲み物を飲む、なんてのもお気に入りの時間。

雨の日はよく眠れますよね。

うちの猫も雨の日はいつも以上に翌眠っているのですが、雨の日は狩りが出来ないので眠くなるようになっているそうです。

もしかしたら、人間もそうなんでしょうか?

 

浜辺で波の音を聞きながらウトウトと眠る、贅沢な気分といったら…!

ものすごい大金持ちの、世界のセレブになった気がします(笑)
都会暮らしの勤め人で、やっとの年に1度の旅行先で、いつも波の音を聞いていたからでしょうか?

海の近くで暮らしていたりしたら違うのかな??

 

でも海の近くで暮らすこと自体、とても贅沢なことだと思います。

子供の頃、本の虫だった私は、大人になったら作家になって、人に会わずに海辺の家に住みたいと思ってました。なんて贅沢な暮らし!

現代ならFAXやインターネットも普及してるし、そんな作家生活も非現実的ではないですね。ちなみにそんな余裕のある暮らしになったら、自宅に大好きなエアホッケーを購入して置いて、たまに来る編集者などの来客に無理やりエアホッケーの相手になってもらう、という夢がありました。

エアホッケー、妙に大好きなんですよね。

面白すぎて笑い転げながらプレーします。そんな私の姿を見て、次にプレイしてみる人が必ず現れるのですが、首をかしげて(そんなに面白くないぞ?)と不思議がってたりします。

なんで自分はこんなに面白いんだろう?

もしかして、前世の猫の記憶かな??

 

いわゆるゲームは大の苦手で嫌いで、スポーツをしても男性である彼氏やダンナには負けますから、入射角と反射角を見当つけて、エアホッケーでパック(玉みたいの)がもくろみどおりスポッ!と相手の手元の穴に入り、「えっ?!」て顔したり、悔しそうな顔したりするのが、愉快でなりません。…って、性格悪いのか?(苦笑)

でも卓球も子供の頃から結構好きだったので、やはりそんなに体力を使わない、頭脳派?のスポーツは好きなんだと思います。

 

あれ?水の話からスポーツの話に??(笑)

 

 

 

 

すでに前出で「動物」というのがありますが、猫は別枠です(笑)

 

自分は子供の頃から、犬派だと思ってました。

大の生き好きでしたが、賃貸住宅でペットを飼えなかったので、鳥を飼ってました。

野良犬を見つけると必ず撫でて、近所の犬を散歩させてもらったり、いつか一戸建ての家に住んで犬を飼いたい、と夢見る少女でした。

 

大人になって、35年ローンで家は購入しました。周りの人も犬を飼うのかと思ったようです。でも自分は朝が苦手で面倒くさがり…毎朝、散歩させるなんて無理。

仕事も朝から夜遅くまでだったので、動物を飼うのはあきらめてました。

 

ところが、子供の頃からの、野良犬や野良猫を見つけると構わずはいられない性格は治りようもなく、近年では野良犬はもう見かけなくなりましたから、もっぱら対象は猫でした。

 

ふとした縁で、8年前から猫たちと暮らすようになりました。

猫と暮らすようになる前も2年ほど、外猫としてゴハンをあげていましたが、もう猫の魅力にとりこになっていました。

 

猫というと、気分屋で自分勝手…なんてイメージありますよね。

そんな子もいるみたいですが、でもウチの子達は違うんです(すでに親バカ 笑)

ちゃんと人の話していることが分かるようで、呼べば小走りに来ます。

「にゃぁああー!」と言いながら、まっすぐに私の目を見て小走りで来るその姿の、可愛らしくて愛おしいことといったら…!

 

でも、呼んでるのが分かっていても、来ない時もあります。

それは「勝手」や「気分屋」なのとは違って、人間の子供と一緒です。

親が呼んでても、もっと遊びたかったりしたら行かない。

ね?同じでしょ??

 

自分の意思を抑えて、例え体が具合悪くてもご主人の命令を聞く、そんな犬は健気ですが私は可哀想に思えてしまって。。。

 

ウチの子達は人間の言葉もたくさん理解してます。

よく「ゴハン」という言葉を分かってる子は多いみたいですが、前出の呼べば来るということで、自分の名前はもちろん「おいで」という言葉、「行くよ」。

「行くよ」の時はどっちに行くのか、私の顔を見上げるので、「あっち」や「こっち」と、指さした方に行きます。

雪の分かれ道で仲間とはぐれ、人間にどっちに行ったか指さして教えてもらう猫の動画が評判になったことがありましたが、何がそんなに驚きなの?という感じでした。

うちでは普通のことでしたからー。

 

あと話しかけると、全部返事を返してしてくれる子もいます。

どこまで理解してるのかは不明ですが、「病院行く?」とか、嫌なことを言うと返事しなかったり、嫌な返事をするので、けっこう理解してるんじゃないかなぁ、と。

 ウチの子達は割と素直で単純な子達だったせいもあるのでしょうが、猫は世間が思っているほど、自分勝手や馬鹿ではないですね。

 

テレビを見て感動して号泣してたりすると、みんなで心配そうに見つめてきます。

いつもは甘えに来るのに、難しい顔してスマホで調べものをしてる時は、遠慮してずっと待ってました。

 

それに猫の体の曲線の美しいことといったら…!

美しい猫の姿にホレボレとすることも多く、そんな時は神様がこの世に猫を存在させたことに感謝します。

ちなみにうちの猫はみな、血統書付きなどではありません。

はじめて動物病院に行った時に種類について書く項目があり「雑種」と書いたのですが、動物看護士のお姉さんが「日本猫」と書いてくださって、感動しました。

 「雑種」なんてひどい言葉はありませんよね。

人間がひとりひとり違うように、猫も1猫1猫違います。

みんなそれぞれ可愛い、そして他の動物もそれぞれ可愛い。

けど、猫は別格です!!(笑)

 

(今回は親バカ全開です。すみません)

植物

母が花や植物を好きだったせいか、私も昔から花や植物が好きでした。

よく植物を育てるのが上手な人を「グリーンサム」と言いますが、母は正にそうでした。

でも私は植物が好きなはずなのに、根腐れさせていまったり、枯れさせてしまったり。

グリーンサム遺伝しなかったようです。

 

なので、植えっぱなしで元気に咲く花が好きです。

まだ寒くて春とは思ってもいない頃、ふと気づくと花壇で真っ先に花を咲かせている、紫や黄色のクロッカスたち。

見つけると春が来たんだなぁと、本当に嬉しくなります。

 

 

 

道端で見かける青い小さな花のイヌフグリ、甘い香りを漂わせているシロツメクサの絨毯。時間が許せばその中に入りこみ、四つ葉のクローバーを探したくなります。

 

四つ葉のクローバーを探すのは得意で、子供の頃は空振りはほとんどありませんでした。

大人になってからも、道を歩いててクローバーの生い茂っているのを見つけ、ふと(この辺にありそう)と見に行くとすぐあったり。

子供の頃にしょっちゅう四つ葉のクローバー探しをしていたので、カンが鍛えられて

しまったんでしょうか。

もう大人になったので、1億円拾うカンとか儲かる株のカンとかがほしいものです。

 

夏は朝顔の観察日記、みんなやりましたよね?

毎日グングン成長する姿、次から次へと咲かせる花、楽しかったのに大人になってからは段々と育てなくなってしまって、いまこのブログを書くまで忘れてました。

今年はもうなくなってしまったので、種を買ってきて育てたいと思います。

 

金木犀の香りがどこからか漂ってくると、秋だなぁと思います。

小学校の運動会の時に香っていたなぁと。

今年もどこからか強く香りが漂ってくるなぁと思っていたら、自分の家の庭に金木犀がありました。

家を購入した時に、ハウスメーカーが植えてくれていたものでした。

 

庭の手入れは夫に任せっきり、そしてマメに枝おろしなどをしてくれるものの、園芸の知識に基づいてするわけではないので、みんな枯らしてしまってました。

そんな中、金木犀は10年もサバイバルしてくれていて、強くて本当にうれしい!

花の香で一番好きなものかもしれません。

 

冬の花といえば椿。

金木犀と並んで椿だけは、我が家の庭でサバイバルしてくれています。

ところでロウバイって木の花も、すごくいい香りがするんですね。

昨冬に近所で、とてもいい香りが漂ってきて気づきました。

10年も、毎日のように横を通っていたはずなのに!

仕事の日は朝晩そこを通り、密かに癒されていました。

 

 

ところで、植物にも感情や命があるとも言いますね。

ベジタリアンの人は肉や卵などの命を食べないと言いますが、では植物は命ではないのか??

私にはよく分かりませんが、人間は雑食ですので、肉も魚も植物も、バランス良く食べたほうがいいと思います。

身近なベジタリンになった人たちは、みんな体調を崩してしまったので、尚更そう思います。

私は両親のおかげで好き嫌いがなく、この世に食べられないものがないので(笑)出されれば何でも、感謝して美味しくいただきます。

 

 

動物や生き物

子供の頃から動物や生き物が好き。

食べ物をあげるのが無性に好き。

 

自分の記憶にある一番古い生き物との記憶は、幼稚園にあがるよりも前の小さな頃、父によく連れていってもらった、自転車で少し走ったところにあった、水道局の浄水場の池の鯉に、餌をあげに行ってたこと。

「指を出してごらん」と言われて、鯉にすごい力で指を吸われて驚いた。

 

子供向けの「ふれあい動物園」で、2つ年上の兄は大泣きしてダメだったらしいのに、2~3歳くらいだった私は大喜びで動物に触ったり餌をあげたり、ポニーに乗ったりしてたらしい。記憶にないのが残念すぎる。大人になった今となっては、子供向けの「ふれあい動物園」には行けない。いつか甥っ子をダシに行ってみたい。

 

 

上野動物園はよく行った。

パンダが初めて来た時。

まだ幼稚園にあがる前くらい?

大混雑で、手すりのような柵で仕切られた前面を子供、後ろ側を大人が通るようにされてた。

立ち止まらないで歩きながら見て行くべきところ、子供はパンダがいるガラスに釘づけになり、なかなか出てこない。

出口で待ってたひとりの母親が心配して半狂乱になって、探しに逆流しようとして係員に止められてた。

自分もゆっくり見ていたので、出口で待ってた母親は、実は少し心配していたみたいだった。

現代なら子供ゾーンに係員が常駐して、誘導したり監視したりするんだろうな。

そもそも、そんなことして誘拐とかケガとか、何かあったら動物園の責任になってしまうから、しないだろうな。

 

 

上野動物園といえば象も。

インドから親善の印に贈られてきた、有名な象。

動物に餌をあげるのが好きだったので、持っていたみかんを投げてあげた。(良い子は真似しないでね)

そしたら、犬のチンチンみたいに、前足を上げて「もっとちょうだい」と芸をした。お里では芸を仕込まれていたのねー。

それを見て、周りの人達がみんな、ポテトチップスやお煎餅を投げる。が、ミカンと違って軽いので、手前の堀に落ちて届かない。

「こらー!誰だ!!」

飼育係が怒って出てきた。ごめんなさい。

 

 

近所で山羊を飼ってる自宅兼作業所のようなところがあったので、よくティッシュをあげてた。でも後で知ったのだけど、実はティッシュは山羊に良くないらしい。(これも良い子は真似しないでね)

 

その作業所には、「ワンワン」と鳴くカラスがいた。

犬も何匹か飼っていたのだけど、カラスのヒナを保護して飼っていたところ、自分は犬だと思いこんだらしい。

カラスも白ければもっと好かれたのだろうに。海鳥を見る度にそう思う。

 

野良犬も野良猫も、見つけると触らずにはいられない子供だった。

噛まれたりひっかかれたり、怖い思いをしたことがない。

(怖くないよ。遊ぼうよ。)と念のようなものを送ると、必ず仲良くなれた。

 

 

大人になって出かけたグアムのホテルのプライベートビーチには、東洋人に吠えるように仕込まれた番犬たちがいた。当時たくさんいた、出稼ぎのフィリピン人がプライベートビーチに入り込まないようにする対策のようだった。

 

私たちを見つけて走り寄り、吠えまくる番犬たちに、(おいで、遊ぼうよ)と、いつものように念のような思いを送ると、獰猛そうな犬たちが、地面に転がってお腹を見せてくれた。

番犬係の白人のガードマンも苦笑い。

普段はきっと優秀な番犬なんですよね。滞在中、その時以外は、番犬たちはいつも忠実に任務を遂行してました。

 

 

子供の頃はよく迷いインコを捕まえた。

手乗りインコが流行っていたので、外で見つけるとやはり(おいで、遊ぼうよ)と念のような思いを送ると寄ってくる。そこを両手でパフッ!と包んで確保。

 

当時は迷子のインコの飼い主さんを、どうやって探していいのか分からず、自宅で大切に飼うことしか出来なかった。

出入り口を器用に開けてしまうインコの脱走防止に、洗濯バサミではさんだり、針金で固定しても、いつもまた逃げてしまった。

無事に飼い主さんのところに戻れていたらいいのだけど。。。

 

ムツゴロウさんみたいだけど、動物や生き物って、やっぱり気持ちが通じると思います。

生きとし生けるものすべてが、しあわせでありますように。

はじめまして。

はじめまして。

ニマ・デキと申します。

このブログでは「好きなもの」をあげていきたいと思います。

 

 

好きなもの、空。

とくに夕焼け。

綺麗な夕焼けを見ると、それだけでしあわせな気持ちになる。

毎日、夕焼けを見られる生活は、本当に豊かな生活だと思う。

 

 

一番感動した夕焼けは、タヒチで見た、ヤシの木が影絵のようになった、本当に絵のような夕焼け。

でも、どんな夕焼けもそれぞれ、刻一刻と姿を変えて美しい。

その様子をぼんやりと見ているのがしあわせ。

 

 

夏の空、雲が姿を変えていくのを、ビーチで寝そべってボンヤリみているのも好き。

ビーチでボンヤリ見ているから、いいのだと思う。

 

 

夜空。

暗くなった帰り道、家の近くの、街の灯が少なくなったあたりで、夜空を仰ぐのは子供の頃からの習慣。

東京では2等星が見えればいいほうだけど、たくさん星が見えた日は、なんだか得した気分になる。ひとり暗闇でほくそ笑む。

流れ星には、なかなか出逢えない。

人工衛星を見つけて、誰かに教えたくなる。

 

 

列車の車窓から見る空。

乗り物酔いするので、なんでも乗り物の席は窓側に限る。

車窓から眺める景色は直接見る景色と違って、素敵に見えるのは何故だろう?

車窓からは空も広く見える。

虹を見つけるのは車窓からのことが多い。

 

 

バスに乗る時は、運転手さんと反対側の、一番前が特等席。

車高の高いバスのフロントガラス越しに見る景色は、前の車に遮られず、その先の空も良く見える。

 

 

飛行機の窓から見る空。

もう空は横にある。下にもある。

空の中にいる。

 

眼下の雲越しに、街を見るのが楽しい。

地図の地形をリアルに見つけられる。空の中にいるからこそ。

 

 

 

一番綺麗だと思ったのは、子供の頃に夢で見た空。

ダイヤや水晶などに反射した煌めきのような、流れ星が空からたくさん降ってくる夢。

世紀末のようだったけれど、とてもとても、美しかった。

 

あの美しい空は、いつか見られるんだろうか。

見られるとしたら世紀末なので、夢のままのほうがいいのかもしれない。

 

けれど怖い夢ではなくて、みんな穏やかに成仏して、宇宙の意識と一体化する、みたいな感じだった。

子供の頃に、なぜそんな夢を見たのか、いまでも理由はよくわからない。

最近になって、悟りとか涅槃とかの意味を知り、そういうことだったのかと思った。

 痛みや苦しみがなければ、死も、空と一体化する、しあわせなことなのかもしれない。

 

好きな空をあげてみたけれど、なぜ空が好きなんだろう。

理由はやはり分からない。